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ある肖像 [歴史]

  中学から高校にかけて、たくさんの本に囲まれて過ごした。本を読み漁っていたわけではなく、文字通り、とり囲まれていた。

 経緯は忘れてしまったが、中学生になると父親の書斎を占領し、自室として使うようになった。壁は作り付けの書架になっていて、おびただしい量の本でぎっしりと埋め尽くされていた。そのころは活字を読むのが嫌いで、退屈しのぎに手にとったとしても、写真で見せる歴史の全集ばかり。閉ざされた空間で、幕末や明治の古ぼけた写真を眺め、古書独特の嫌なにおいを嗅いでは、ひとり恐怖に怯えているような子供だった。

 そんなある日のこと。1970年(昭和45年)発行の古めかしい雑誌があるのに気がついた。日本女性の100年の歩みを振り返ったある雑誌の増刊号だった。何気なくページをめくっていた中学生の私は、ある女性の写真に目を奪われた。ほぼ同年齢のようだが、ひどく美しい。

ブログ・朝吹磯子.jpg

 女性は名を朝吹磯子といった。1890年(明治23年)生まれで、陸軍軍人の長岡外史を父に持つ。

 長岡は日露戦争時に参謀本部次長を務め、軍隊へのスキー導入で先駆をなしたほか、航空機業界の発展にも力を尽くした。一方、平素は世界第2位の長々としたプロペラ髭を自慢にしており、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で「天性のおっちょこちょい」と揶揄されている。当時の評価も同様だったらしく、長州閥の本流にいたのに中将で終わっている。

 長岡はあたかもドイツ軍人のような、端正な顔立ちをしていた。父親の形質を受け継ぎ、色白でくっきりとした二重まぶたの磯子は、町で「アイノコ」とからかわれる一方、男子学生から密かにラブレターを手渡されたこともあったらしい。

 彼女は16歳で学校を中退し、実業家の朝吹常吉に嫁いだ。常吉の父は「三井四天王」の1人で、王子製紙会長などを務めた英二。常吉もまた、三井系企業の重役を歴任した。娘にはサルトルやサガンの翻訳を手がけ、2005年に亡くなった登水子さんがいる。

 結婚後に住んだ東京・高輪の家は、敷地の広さが2000坪。犬の世話専用の使用人までいた。登水子さんを含む4男1女には、スコットランド人女性が家庭教師としてつき、しばしばファミリーコンサートが催された。

 関東大震災で東京が瓦礫の山と化す直前の1922年(大正10年)、世界周遊の旅から帰国したばかりの彼女は、世間の慌しさとは関係ないかのごとく、硬式テニスに打ち込み始めた。夫は同年設立された日本庭球協会(日本テニス協会)の初代会長に就任している。ごく一部の富裕層にプレーヤーが限られていた時期とはいえ、30歳を過ぎたミセスプレーヤーながら、全日本選手権のダブルスで優勝するほど活躍。歌人としても名をはせた。

  結婚直後は厳しい姑に泣かされ、妹を若くして自動車事故で亡くす痛ましい出来事もあったが、正真正銘のセレブリティーとして幸福な人生を送ったようだ。 

 架空の話になるが、1901年(明治34年)生まれで、ほぼ同時代を生きた「おしん」は、スーパー経営者として成功するまで、多難の人生を送っている。関東大震災では夫とともに切り盛りしていた羅紗問屋を失い、佐賀にある夫の実家に身を寄せた。太平洋戦争では長男が戦死している。朝吹磯子の人生は、おしんの人生に比べれば、劇的な要素に欠けるかもしれない。「私の東京物語」など、登水子さんの子供時代を描いた著作に対しては、あまりにも時代とかけ離れたセレブの暮らしぶりに反感を覚える人が少なくないようだ。

 だが中学生の私は、激動の時代にあって、類いまれな美貌を備え、家庭にも金銭的にも恵まれていた磯子の存在を、ひとつの奇跡と受け止めた。

 恋をした、といえば言い過ぎかもしれないけれども、それに近い気持ちはあったのかもしれない。その後、折に触れて登水子さんの著作をはじめ、磯子の足跡を伺える資料を探し求めるようになった。私家版として出版されたアルバムがあると聞きつけ、国会図書館に足を運んだこともある。

 ただ、彼女は自伝を遺しているにもかかわらず、それだけは読まないままになっている。奇跡が「壊れる」のをずっと恐れていたからだ。私とっては、むしろ彼女が雲ひとつない、幸福な人生を歩んでくれた方が良かったのだ。

 後に朝吹磯子が1986年(昭和61年)、96歳で天寿を全うしたことを知った。奇しくもちょうど私が存在を知ったころだ。あれから20年以上。私は相変わらず平凡な人生を歩んでいるが、彼女のおかげで古書のにおいが大好きになり、今や本なしでは生きていけないほどになっている。一方で大人になり、奇跡が壊れるのをさほど恐れなくなった。

 先日帰郷した際、父の書斎に足を踏み入れ、久々に彼女のことを思い出した。そろそろ自伝に目を通してみようか‐。そう思いつつ、また青臭かった当時を懐かしみながら、とはずがたりに書いた。 


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コメント 4

sadakun_d

全日本テニス選手権はクルム伊達38歳が優勝。

朝吹磯子も30歳過ぎてのミセスで全日本を活躍。たんとなく日本のオバチャンは強い印象かなあ
by sadakun_d (2008-11-16 14:17) 

mic

こんにちは。

伊達選手とは同世代。活躍はうれしい限りです。もうトップ10に入ることはないかもしれませんが、ナブラチロワのように、年齢なりの活躍をしてくれるといいですよね。

それにしても、テニスは昔からけっこう見ていますが、フェデラーのプレーは完璧そのもの、90年代に比べ世界で活躍する日本人がいなくなっているので、西織選手にはぜひともがんばってほしいのですが。

ところで、朝吹磯子がプレーしている写真を見たことがありますが、当然、今ほどおしゃれではなく、おそらくレベルも相当低かったんだと思います。それでも、日本中が貧しく、貞淑な女性像が求められていたあの時代に、ウェアを着てテニスをし、世界と戦ったこと自体が驚きです。

by mic (2008-11-17 04:07) 

Terry

学生時代はずっと軽井沢で夏季アルバイトをしていました

磯子さん(白髪を紫に染めてられてました)はそこのお客さまでした
私が担当でお話をしながら
いろいろな方に贈り物をする宛名書きの代筆を(量があったので)
数年させていただきました

もう40年も前の思い出です
by Terry (2015-06-13 21:53) 

mic

コメントをいただくことが少ないため完全に見落としてしまっておりました。返事が遅くなってしまい大変申し訳ありません。

生前の磯子さんをご存じとのこと、書物や写真を通してしか人物を知りえない身としてはすごくうらやましいです。さぞかし品の良いおばあちゃんだったんでしょうね。

真理子さんが芥川賞をとったり、野依さんが例の問題に巻き込まれたりと、今も何かと話題になっている一族ですが、モラル崩壊の危機に瀕している時代にあって、いつまでも品の良さを保ち続けてほしいものです。

ちょうど先日朝吹家の別荘を見に行ってきたので、そちらもご覧いただければ幸いです!

by mic (2015-10-29 21:46) 

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